【五島王国の終焉】 東急グループの総帥になれなかった五島哲氏

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 東急グループの総帥になれなかった五島哲氏。

 これで五島王国は終焉!
 
 西武の堤家支配も東急の五島家支配も終了した。時代が変わっていくんですね。
 そう言えば、東急の五島慶太が真似をした小林一三の阪急も小林家は支配していないのではないだろうか……。
 
 兎に角、興味深い記事でした。


『弱肉強食の世界』に勝ち残るには本人の実力が不足している場合には、周りのブレーンだけでは不十分で、『運』が味方しないと無理な様です。
『運』を呼び寄せるのも実力の内とすると、結局は実力が不足していたのか……。




東急グループの総帥になれなかった五島哲氏
五島王国の終焉 author : abe-jp-j

2008.01.29 Tuesday


 年末のあわただしい07年12月16日に東急電鉄の取締役調査役の五島哲氏(59)が、岐阜市長良福光のホテルの浴槽で死んでいるのを友人が見つけ警察に届け出た。五島氏は前日から岐阜県に「日本実業団陸上競技連盟会長」として「第27回全日本実業団対抗女子駅伝」のために来ていた。前夜祭に出て挨拶などして、この日はスタートの状況を見ることになっていた。ところが約束の時間になっても来ないので見に行ったところ、すでに死んでいた。五島氏は07年夏にすい臓がんが見つかり手術をして、回復していた。それだけに東急電鉄は「手術がうまくいって、好きなゴルフをするまでになったのに、急死するとはビックリした」というコメントを出した。

 五島氏は東急電鉄グループの総帥で日本商工会議所の会頭を勤めた昇氏の長男である。五島氏の死去で昇氏の父親である慶太氏が作利上げた東急グループの五島王国は3代で終焉した。ある東急グループの会社の幹部は「今の東急グループの若い人たちにとって『五島』といっても知らない人が多くなった。普通の会社になったということで歓迎すべきことではないですか」と話していた。西武鉄道グループでは堤義明氏が西武鉄道株の問題で引退して、みずほコーポレート銀行出身の後藤高志氏がリーダーとなって経営しており、哲氏の死は五島、堤という時代が終ったと言うことの象徴でも在る。

 哲氏が東急電鉄の後継者として注目されたのは19年前の89年3月20日に父親の昇氏が死んだ時である。当時、哲氏は東急電鉄取締役で東急建設副社長であった。昇氏は哲氏を後継者にしようと東急グループの大番頭である東急建設社長だった八木勇平氏に預けて教育していた。その状況を見て東急電鉄の本体に戻すことも考えていた。昇氏は日商会頭を辞めた87年12月に東急電鉄の社長には武蔵工大教授をしたこともある学者の横田二郎副社長を指名した。横田氏も哲氏を東急電鉄の社長に戻すことを考えていた。それが昇氏へのせめてもの恩返しである、ということである。

 哲氏は90年に東急建設の社長になった。東急建設は百貨店、不動産と並んで東急グループの御三家である。哲氏にとって運が悪かったのはバブルがはじけて、建設の業績が悪化の一途をたどってしまった。建設だけではなく不動産、百貨店も業績が悪くなり、横田社長はこの処理に追われて哲氏の東急電鉄への復帰などは考える余裕もなかった。
横田氏はバブルの後始末を財務部門担当の清水仁副社長と行い、95年4月に後継者に清水氏を据えた。清水社長は建設や不動産が抱える不良債務処理に全力で取り組んだ。建設は親会社の電鉄の援助で処理を終わり、哲氏はその責任をとって98年に社長を退任して、東急電鉄の取締役調査役と言う閑職に追いやられた。

 電鉄をはじめグループの仕事は無く、もっぱら外の活動に励んでいた。経済同友会の会合には頻繁に顔を出していた。そうした時に東急グループの話を聞くと「経理屋の人がトップでは新しいことをやらずに、不良債務の処理ばかりを進める。これでは展望が開けませんよ」と愚痴をこぼしていた。昇氏の後ろ盾の無くなった横田氏は東急グループでは力はなくしており、清水社長などが力を持ってきた。

 哲氏を社長にしようとした岡田茂・東映元社長は「昇さんも何とか哲を社長にしようと考えていたのだが、周りの評判が悪すぎた。ゴルフ場でキャディさんを殴ったり、マージャンで台をひっくり返すなどの話が頻繁に入ってくる。人間的に成長しなくてはだめだということで八木さんに預けたのだがうまくいかなかった。私もそれなりに努力をしたが、社長の器ではなかった」と話していた。

 昇氏は東京大学経済学部を卒業して、東芝に勤めてその後、東急電鉄に副社長で入った。最初はやることも無くゴルフばかりしていて「豊臣家を滅ぼした豊臣秀頼になるのではないか?」という心配があったが、37歳で社長になり、5年後に慶太氏が死んでからは、大番頭の東映社長の大川博氏を追い出して自力で経営し大きくした。昇氏は久原財閥を作った久原房之助の次女久美子との間に生まれた哲氏を同じようにほかの会社で修行して戻すやり方をした。哲氏は東京工業大学を卒業した後、本田技研工業に勤めて、東急電鉄に入った。

 母親の久美子さんは哲氏のほかに長女の喜久代さん(藤田観光の小川栄一の息子と結婚)の2人を生んだが、後妻の芸者をいていた中島陽子さんの間には浩、祐、尚子の3人がいる。昇氏の息子は現在、祐氏が東急電鉄のグループ営業推進部にいる。哲氏の息子は2人おり、長男は三菱商事におり、次男が東急不動産の住宅事業本部にいる。東急電鉄グループには五島という血は哲氏が死んでもこの2人には流れている。東急電鉄の上條清文会長は昇氏の秘書室長を勤めた。死ぬ時にはそばで面倒を見ていた。それだけに哲氏の死について特別な感慨があるだろが、発言は控えている。五島家の慶太氏が77歳、昇氏が72歳、哲氏が59歳と言う死に方は日本人の寿命が延びているのに、なんとも不自然である。12月20日のお通夜、21日の告別式に参列した2000人の人は哲氏のあまりにも早い死を嘆いていた。











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