【長男の独白】「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴【慰安婦捏造問題】

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 「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴
 
 真実を解き明かした大高未貴(おおたか・みき)の努力と、真実を勇気を持って告白した「吉田清治」の息子の二人に敬意を評したい!





【吉田清治】【長男の独白】【慰安婦捏造問題】
「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴
2017.6.17 01:00

吉田清治氏が建てた「謝罪碑」(関係者提供)
※「吉田清治」長男が韓国・天安市の「謝罪碑」を「撤去」(書き換え)しました。この記事は、その顛末と慰安婦問題の原点「吉田清治」の実像をルポした『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(大高未貴著、産経新聞出版刊)の第2章「父・吉田清治」から抜粋しました。ネットでのご購入はこちらへ。


●懸賞マニアだった

 三鷹から下関に戻って間もなくの頃だったか、清治氏はNHKが募集していた「ラジオと私」という懸賞に応募して、一等、一〇万円を獲得したという。当時の大金である。

「私が小学六年か中学一年頃かと思いますが、いい作文でした」

 と長男は振り返る。

 父(清治氏)が帰宅すると、ラジオから流れてくるはやりのコマーシャルソングに合わせ、息子二人が楽しそうに踊っていた。普段、父は子供に歌謡曲を聞かせないようにしていたから、母がラジオを消そうとすると、父はその楽しそうな様子に「そのままで、消さないでよい」と母に告げた--。

 そんな話だったという。



「テレビが買えない貧しい家庭を象徴するものがラジオでした。父は教育に関して厳格でしたので、家では歌謡曲など聞かせてもらえなかった。でもこの時は楽しそうな様子に思わず笑みがこぼれたという内容で、短い文章の中に幸せな家族の情景が浮かぶと高い評価を得たのです。父は福岡に行って表彰され、賞金をもらってきた。あの頃が吉田家が一番幸せだった時かもしれません」

 この頃、清治氏は朝鮮人の経営するパン屋に勤めていた。

 長男に下関の図書館でコピーした古い地図を見てもらうと、

「あっ! ここです。このパン屋さんに父は勤めていたのです」

 となつかしそうに目を細めた。

「その経営者は戦前からの付き合いだったので、父の首を切るにも切れない状態だったそうです。父はパン屋の仕事になじめず、足手まといだったと思います。クリスマスなどは徹夜でケーキを焼いて配達したりと忙しかったようで、社長としては父よりも若手が欲しかったわけです。だからその社長はこれで辞めさせることができると喜んだ。一家はその賞金で引っ越すのですが、父はそのお金で三回も四回も引っ越せると言っていました」

 懸賞に応募したのはこれだけではない。

「応募のほか、ラジオとかテレビのモニターもよくやっていました」

 いまで言う投稿マニアだったのか。

●「元動員部長・吉田清治」の始まり

 やがて清治氏はもう一つ、大きな懸賞で佳作となる。

 昭和三八年、『週刊朝日』が「私の八月十五日」の手記を募集し、結果が同誌八月二三日号に掲載された。特選は一名、後に作家、エッセイストとして知られる近藤富枝である。記事には他に入選五名、佳作一〇名の氏名が出ている。その佳作のひとりに吉田東司の名前がある。それは清治氏のことだった。

 入賞作までは全文掲載されているが、佳作は編集者が抜粋しながら紹介している。以下、引用する。

〈特選から佳作に至るまでの各編は、すべて、戦争の被害者としての立場から、八月十五日を想起したものばかりであった。しかしただひとりだけ、下関市の会社員吉田東司氏(四九)は、加害者の立場からあの日を回顧する。

「私はそのころ山口県労務報国会動員部長をしていて、日雇労務者をかり集めては、防空壕掘りや戦災地の復旧作業に送っていた。労務者といっても、そのころはすでに朝鮮人しか残っていなかった。私は警察の特高係とともに、指定の部落を軒なみ尋ねては、働けそうな男を物色していった」

「奴隷狩りのように」と吉田氏自身もいう。その最中にはいったのが終戦のニュースだった。朝鮮人の報復への恐れは、直ちに頭に浮んだ。帰宅した吉田氏の家の前には、案の定、二十人ばかりの朝鮮人が集っていた、動員された朝鮮人の行先を教えろという。問いつめられた吉田氏はついに捨てばちになった。

「私は靴ばきのまま座敷にかけ上がると、床の間の軍刀をつかんで玄関へとび出して叫んだ。

『どうせ戦争に負けたんだから、いまここで死んでやる。おれのしたことに文句がある奴は、殺して道づれにするから前へ出ろ!』

 私は気ちがいのように逆上し、軍刀を抜いて彼らに近づいた。彼らはわめきながら逃げ散った。私はこれまでにしてきたことも、これからしなければならないこともわからなくなって、真夏の太陽の下でむなしく軍刀をふりまわしていた」〉

 山口県労務報国会下関支部の元動員部長・吉田清治としての活動の始まりだった。

 抜粋部分だけでも手慣れた文章である。最後の一文など非常にドラマチックで、話を盛り上げて書く手法を持っていることがわかる。

 長男はこの投稿について少しだけ父から話を聞いていた。

「労務報国会で雇っていた朝鮮人の大半は共産党員だったそうです。終戦の八月一五日か翌日、家に集まってきた彼らに軍刀を振り回したというのは嘘だと言っていました。当時、軍人でもない父に、軍刀は支給されていなかったのです」

 それなら話自体の信憑性も疑われるが、この内容を事実としてすぐに著作に取り込んだ人物がいた。朝鮮大学校で教鞭を執る歴史研究家の朴慶植氏である。強制連行文献のバイブルとされる彼の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)に引用されるのだ。

 ただこの時点では、記事は労務報国会の仕事の範疇での体験であり、「慰安婦狩り」をしていたとも、済州島に行ったとも書いていない。

 次に彼が労務報国会元動員部長として書くのは、昭和五二年。最初の著作『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)である。一四年後のことである。

 この間の吉田氏の足取りはこれまでいっさいわかっていなかった。

※続きは、『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(大高未貴著、産経新聞出版刊)を参照。ネットでのご購入はこちらへ。

■大高未貴(おおたか・みき)

ジャーナリスト。1969年生まれ。フェリス女学院大学卒業。世界100カ国以上を訪問、スクープ証言を多数ものにしている。『正論』『新潮45』などへの寄稿のほか、テレビ、インターネットテレビ出演、講演活動も行っている。著書に『日韓”円満”断交はいかが? 女性キャスターが見た慰安婦問題の真実』(ワニブックスPLUS新書)、『「強欲チャンプル」沖縄の真実』(飛鳥新社)、『ISISイスラム国 残虐支配の真実』(双葉社)など多数。













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