元島民団体「領土問題進展なく残念」 空路墓参は「安定的に継続を」【ロシア】【「北方領土返還」交渉】

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 「領土問題進展なく残念」と元島民団体 空路墓参は「安定的に継続を」

 北方領土は日本固有の領土であるが……戦後から既に70年以上が過ぎ去っている。ここまで時間が経っていると正直な話し「北方領土返還」を実現するのは簡単ではない。
 特に、安倍さん以外の首相では「北方領土返還」を実現することは不可能に思える。兎に角、安倍さんには頑張ってプーチンロシア皇帝から日本固有の領土である北方領土を返還して貰いたい。




【ロシア】【「北方領土返還」交渉】
元島民団体「領土問題進展なく残念」 空路墓参は「安定的に継続を」
2018.5.27 15:38

日露首脳会談を受け記者会見する千島歯舞諸島居住者連盟の幹部=27日午前、札幌市


 26日の日露首脳会談を受け、北方領土の元島民団体、千島歯舞諸島居住者連盟が27日、札幌市で記者会見し、要求している領土返還に向けた動きが見られなかったことに懸念を示した。脇紀美夫理事長(77)は「共同経済活動については具体化されようとしている一方、領土問題では進展が見られず残念だ」と話した。

 同席した幹部らも「昨年の会談と何が変わったのか」と厳しい表情を浮かべた。昨年に続き、元島民らの空路墓参を7月にも行う方針となったことについて、脇理事長は「安定的に継続してやってもらいたい」と述べた。

 共同経済活動に関しては「(双方の法的立場を)害さないというルールの中で行われるもの。そのルールが決まらなければ具体的に進まないのではないか」と指摘した。






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【日露首脳会談】北方領土、進展なし 共同活動加速へ今夏調査団 日露首脳、米朝成功後押し 非核化でも緊密連携【北方領土交渉】

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 北方領土、進展なし 共同活動加速へ今夏調査団 日露首脳、米朝成功後押し 非核化でも緊密連携

 プーチンロシア皇帝に「北方領土を至急返還してください」とお願いしたい。




【日露首脳会談】【北方領土交渉】
北方領土、進展なし 共同活動加速へ今夏調査団 日露首脳、米朝成功後押し 非核化でも緊密連携
2018.5.27 14:11

【日露首脳会談】
モスクワのブヌコボ国際空港から帰国の途に就く安倍首相と昭恵夫人=26日(共同)


 安倍晋三首相は26日午後(日本時間同日夜)、ロシアのプーチン大統領とモスクワのクレムリン(大統領府)で会談した。北方領土での共同経済活動の事業化に向けた作業を加速し、7、8月をめどに民間調査団を派遣する方針で合意。北朝鮮の非核化実現に向けて緊密に連携し、米朝首脳会談成功の後押しをすることでも一致した。安全保障分野では、両国の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)の今年後半の開催を申し合わせた。ロシアで開く方向だ。

 ただ共同経済活動について両国は、双方の法的立場を損なわない「特別な制度」での実施を目指しているが、今回も北方領土返還に向けた平和条約締結交渉を含め、具体的な進展はなかったもようだ。事業化は依然として見通せない。

 両氏の会談は第1次安倍政権時代を加えて21回目で、プーチン氏が3月の大統領選に勝利し、通算4期目に入ってからは初めて。会談は、通訳だけを入れた一対一の時間と少人数会合を含め、約2時間半行われた。(共同)






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【日露首脳会談】26日にモスクワで日露首脳会談 安倍晋三首相のペテルブルク訪問後

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 モスクワで日露首脳会談、26日に。 安倍晋三首相のペテルブルク訪問後。

 プーチン皇帝との日露首脳会談は重要だ。

 プーチン皇帝は日本にとって重要な3つの問題のキーマンである。それは北方領土問題・北朝鮮からの拉致被害者帰還問題・「ならず者国家」中国包囲網構築。
 今回は中国包囲網構築に関しては議論はしないだろうが、対中国戦略に於ては中国の背後に存在するロシアは重要である。ロシアが中国寄りから日米側へと舵を切れば中国の国際的な力関係のバランスは大きく不安定になる。だからこそ、何としてもロシアを日本側に引き込みたい。

 今回の日露首脳会談に於ては、北朝鮮に滞在する日本人拉致被害者を取り返す援護射撃の確約をプーチン大統領から取り付けたい。

 「北方領土返還」を実現させるには、おそらくプーチン皇帝がロシアの大統領でいる間しか可能性が無いかもしれない。その為には、何とかして前進させなければならない。時間的猶予はこれからの6年の間しかない。




【日露首脳会談】
26日にモスクワで日露首脳会談 安倍晋三首相のペテルブルク訪問後
2018.5.12 00:50

【日露首脳会談】
 【モスクワ=遠藤良介】ロシア大統領府は11日、プーチン露大統領と安倍晋三首相の首脳会談が、今月26日にモスクワで行われると発表した。安倍首相は25日、サンクトペテルブルクで行われる経済フォーラムにプーチン氏やマクロン仏大統領とともに参加し、その後、モスクワに移動して日露首脳会談に臨む。

 モスクワでは11日、日露の外務次官級協議が行われ、森健良外務審議官とモルグロフ露外務次官が日露首脳会談の準備作業を行った。森外務審議官によると、北方領土での共同経済活動に向けた「人の移動の枠組み」づくりについて今後の方向性を協議。北朝鮮問題をめぐっては、日本人拉致問題の重要性をロシア側に改めて説明した。






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ヤルタ密約 チャーチル英首相、ソ連対日参戦1カ月前に情報漏らす ソ連への千島割譲、英連邦4カ国に【北方領土】

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 北方領土とヤルタ密約 チャーチル英首相、ソ連対日参戦1カ月前に情報漏らす ソ連への千島割譲、英連邦4カ国に

 「ヤルタ密約」は国際法上違法であることを国際社会へ拡散させて、ロシア皇帝・プーチン大統領がロシア国内への言い訳を提供すべきだろう。
 現在のロシア皇帝を責めるのではなくて、過去のロシア(正しくは当時のソ連)のトップであるスターリンが行った国際法上の違法行為を責めて、プーチン大統領がロシアの男気を見せて「勇気」「寛大さ」を見せて北方領土返還をするとロシア国内へ宣言する形が良いのではないだろうか?
 日本側は、その見返りとして5年契約等の大型の天然ガス購入をロシアと締結するとか、ロシアに自動車工場や鉄道システムを日本が管理することを含めて契約するなどの「Win-Win」な契約を締結するべきだろう。

 日本は「北方領土返還」を梃子にしてロシアから譲歩を引き出すと共に、ロシアから大量の天然ガスを購入する事でロシアへ大きな利益を与えつつ日本のエネルギー確保を得てロシアと強い「Win-Win」関係を構築して、「ならず者国家」中国包囲網にロシアの協力を得る種を撒いておくべきである。




【ヤルタ密約】【北方領土】 
チャーチル英首相、ソ連対日参戦1カ月前に情報漏らす ソ連への千島割譲、英連邦4カ国に
2018.4.17 22:51


1945年2月4日、ヤルタ会談に出席した(右から)ソ連のスターリン首相、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相(AP)
 【ロンドン=岡部伸】ソ連に対日参戦の見返りに日本領土だった南樺太と千島列島を割譲するとした「ヤルタ密約」を3巨頭の一人として署名したチャーチル英首相がソ連侵攻1カ月前の1945年7月、カナダ、オーストラリアなど英連邦4カ国首脳に密約内容を極秘に明かしていたことが、英国立公文書館で見つかった英外交電報で分かった。

 同年2月に交わされたヤルタ密約は、ロシアがソ連時代から、日本固有の領土である北方領土の領有を主張する最有力根拠としてきたが、北方四島を含む千島列島のソ連領有に懸念を抱いたチャーチルが英連邦主要国に警戒を促したことをうかがわせる。

 電報は1945年7月5日付。チャーチルから英自治領省(ドミニオン・オフィス)経由でカナダ、豪州、ニュージーランド、南アフリカ4カ国の首脳あてに送られた。

 駐重慶カナダ大使が中国政府筋から得たとする「ソ連は対日参戦の見返りに、クリール(千島)、南樺太、南満州鉄道、旅順、大連を得る」との情報について、カナダのキング首相が6月27日付で照会したものにチャーチル自らが回答した。

 電報は、ソ連の対日参戦の条件として(1)ソ連の強い影響下にあった外モンゴル(モンゴル人民共和国)の現状維持(2)南樺太の「recovery」(回復)(3)千島列島の「acquisition」(獲得)-を明記。

 そのうえで「われわれ3人はソ連の要求が日本が敗北した後に確実に満たされるべきことを合意した」などと米英ソ3首脳の密約を説明している。

 ヤルタ会談直後、チャーチルは、密約の流出を懸念して同年3月、英連邦諸国に伝えないように外務省に指示していた。しかし、戦後処理を話し合う同年7月17日~8月2日のポツダム会談に向けて、トルーマン米大統領らが出発する直前に、英連邦主要国に、情報提供していたことになる。

 チャーチルは当時からアジアでの共産主義浸透をもくろむソ連を警戒しており、豪州やニュージーランドに密約を事前説明することで、降伏勧告を含む対日政策で英連邦の結束を促したとみられる。

 また電報原本には、千島列島の獲得が記述された左部分に赤線がひかれており、千島列島の扱いについて英政府内で重要な懸案として論議された形跡を示唆している。

 カリフォルニア大学サンタバーバラ校の長谷川毅名誉教授(日露関係史)は、「英国は、日本に降伏を迫る上で、米国が主張する国体の否定(皇室解体)を和らげることを望んでいた。一方で、豪州やニュージーランドなどは過酷な和平条件を日本に要求しており、英連邦諸国をいかに説得するかの板挟みにあったのではないか」と指摘している。



【用語解説】ヤルタ密約

 1945(昭和20)年2月4日から11日まで、クリミア半島ヤルタで米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相による連合国3カ国首脳会談が開かれた。ルーズベルトはソ連による千島列島と南樺太の領有権を認めることを条件に、スターリンに日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。ドイツ降伏後、ソ連が対日参戦することが秘密協定としてまとめられ、ドイツと中・東欧での米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定、東西冷戦幕開けのきっかけにもなった。






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【歴史インサイド】「これが最期です、さようなら」旧ソ連軍侵攻と真岡乙女の悲劇も…「樺太」日本統治の痕跡は今【旧日本領南樺太=現サハリン・ロシア】

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 「樺太」日本統治の痕跡は今……。
 それでも南樺太(現サハリン)を訪れることは有意義なことではないだろうか?

 因みに、宮沢賢治は樺太栄浜への旅で銀河鉄道の話しを閃いたらしい。
 樺太の満点の星空と湖面ぎりぎりに走り抜けた樺太の鉄道路線こそが、地上を走っていた銀河鉄道の原型だったと思われる。 
 いつかは樺太の銀河鉄道を旅をしてみたいと思っている。
 
 南樺太(現サハリン)は現在日本が主張している北方四島には含まれないのだが、個人的には南樺太(現サハリン)もロシアから返却して欲しいと思っている。
 
 


【歴史インサイド】【旧日本領南樺太=現サハリン・ロシア】
「これが最期です、さようなら」旧ソ連軍侵攻と真岡乙女の悲劇も…「樺太」日本統治の痕跡は今
2017.9.11 05:30

第二次世界大戦の悲劇の舞台として知られる真岡郵便局跡。旧ソ連軍の侵攻が迫る中、当時の電話交換手の女性9人が死を覚悟で業務を継続し、青酸カリによる自決を遂げた。現在はアパートとなり、1階には銀行が入居する=サハリン州ホルムスク(有年由貴子撮影)


 北海道からわずか約40キロの真北に位置する島、サハリン。かつて樺太島と呼ばれ、明治38年から昭和20年までは南半分が日本の統治下にあった。昭和20年8月、第二次世界大戦末期の旧ソ連軍の侵攻で日ソ間で激しい戦闘が行われ、多くの民間人の血が流れた地でもある。現在はロシアに実効支配されており、日本時代の遺構はほとんど残っていない。「樺太の戦い」が幕を下ろしてから8月25日で72年。かつての日本領土はいま、どうなっているのか。この夏、日露両国の歴史と文化が複雑に絡み合うサハリン島を訪ねた。(有年由貴子)


波に揺られ3時間半

 8月5日、日本最北端の北海道稚内市からフェリー「ペンギン号」に乗った。こぢんまりとした船体に描かれたペンギンのイラストが愛らしい。目指すは、対岸のサハリン島にある港町、コルサコフ(旧・大泊)だ。

 ペンギン号は6~9月に週2~3回、稚内-コルサコフ間の国境を往復する。運航会社のホームページによると、今シーズンは国内外のバックパッカーや自転車の利用客が急増。パックツアーが多く「高額」のイメージだったサハリンの旅が、リーズナブルなものにも変わりつつあるという。

 この日の乗船者は、ほとんどが高齢者を中心とした団体のツアー客。個人旅行者は数人だった。北海道からツアーに参加した女性は「知り合いにサハリンからの引き揚げ者がいる。自分の身近なところにあるサハリンを一度見てみたかった」と話した。

 宗谷海峡の波に揺られ、フェリーは4時間半ほどでコルサコフの港に到着。日本との時差は2時間。日本人が島に上陸するためにはビザが必要だ。パスポートと事前入手したビザを入国審査官に示し、厳格な監視のもと、入念なチェックを経て無事イミグレーションを通過した。


日本国「豊原」のいま

 コルサコフからさらにバスで約1時間、シラカバの木に挟まれた舗装路を抜けると、次第にコンクリートの建物群が現れ、サハリンの州都・ユジノサハリンスクに到着した。

 人口約20万人。かつて、日本国の「豊原」と呼ばれた町だ。日本統治時代には、多くの日本人が入植し、林業や漁業、製紙業などで栄え、昭和16年12月の国勢調査では約40万6千人が暮らしていた。

 札幌のまちを模して作られた碁盤目状の街路が整然と並ぶ。右ハンドルの中古の日本車であふれているが、一見して日本らしきものは見当たらない。街全体はほこりっぽく、旧ソ連時代に建てられたとみられるカラフルな古いアパートや建物群が建ち並ぶ。どこか無機質な印象だ。

 現地の人たちには日本語はおろか英語もほとんど通じない。真夏というのに、日が暮れると長袖の厚い上着がいるほどの肌寒さだ。

 一方で、街ではロシア人に混じってしばしば日本人や朝鮮人のような容姿の人々とすれ違うことに気づいた。スーパーマーケットなどにも「キムチ」や「ナムル」によく似た総菜が並んでいる。戦前、朝鮮半島から労働者がサハリンへ渡っていったが、戦後、韓国への帰還の道が閉ざされ、現在も多くの朝鮮系住民がこの島で生活を営んでいるのだという。

 ユジノサハリンスク駅前にある日本料理店「ふる里」の店長、宮西豊さんは「昔はたくさんの日本人・韓国人が住んでいましたが、ロシア人の移住が進み、今ではロシア人たちの暮らしの中に日本人・韓国人がいるというイメージです」と話す。

 宮西さんは約30年前に店を構え、同市の名誉市民でもある。宮西さんによると、現在同市に住む日本人は150人ほど。このうち、ユジノサハリンスクで生まれた日本人は今では20人に満たない。


「陸の国境」

 日本統治時代の痕跡を求め、市中心部にあるサハリン州立郷土博物館を訪れた。えんじ色の瓦屋根に、菊の紋章の付いた入り口の扉。日本の城郭建築を模したそのたたずまいは、ヨーロッパ調の街中では違和感を覚えるほど荘厳な雰囲気をまとっていた。旧樺太庁博物館を受け継いだ建物で、昭和12年に樺太の多くの建造物を手掛けた故貝塚良雄氏の設計によって建てられた。

 館内で展示されているのは、主に、かつて流刑地だったサハリン島の歴史や自然、アイヌ民族などの先住民の生活の紹介などだ。日本統治時代の資料も公開されており、高等女学校や中学校、商店や野球場といった施設が細かく記された豊原時代の地図からは、かつての日本人の生活をうかがうことができた。

 その展示資料の中に、北緯50度線上の日露国境に置かれていた国境標石のレプリカを見つけた。将棋の駒のような形で、日本側の面には「大日本帝國」「境界」の文字と菊の紋章が、ロシア帝国側には双頭鷲の紋章が刻まれていた。

 かつて、日本にも陸の国境があった。改めてそのことを思い知らされた。


悲劇のまち「真岡」

 さらに、日本の名残を求め、サハリン第二の都市ホルムスクへ向かう。ユジノサハリンスクからバスで2時間弱。サハリン西海岸最大の貿易港だ。

 日本時代の町名は「真岡(まおか)」。その名前は第二次世界大戦の悲劇の舞台として知られる。

 昭和20年8月、国境線を越えて侵攻した旧ソ連軍によって樺太の多くの一般市民が殺害された。同月20日、旧ソ連軍の真岡町への上陸が始まるなか、真岡郵便局の電話交換手の女性9人が死を覚悟で業務を継続し、青酸カリによる自決を遂げた。

 「皆さん、これが最期です。さようなら、さようなら」。これが最後の通信だったと伝えられる。

 その真岡郵便局跡は、港からほど近くの大通り沿いにあった。建物は残っておらず、跡地には高層の古いアパートが建ち、一階には銀行が入居していた。

 慰霊碑などはない。跡地に向かって手を合わせていると、住民らから不思議そうな視線を向けられた。

 海沿いののどかな港町、ホルムスクは坂が多い。日本でいえば広島県の尾道市のようなイメージだ。しかし、この街にも、旧ソ連軍侵攻の際に街の大半が焼失したこともあり、日本統治時代の遺構はほとんど残っていないという。

 ガイドブックを頼りに数少ない遺構をたどる。かつて「真岡神社」の参道だった長い石段を上り切ると、船舶会社となった敷地に出た。脇の茂みの中に、日本語が刻まれた馬頭観世音の台座や手水鉢などがひっそりと残されていた。神社跡から街を見下ろすと、街並みの向こうに青々とした間宮海峡(タタール海峡)が広がっていた。

 石段を下りて、港へ向かう。その道すがら、高くそびえる戦勝記念塔が見えた。「23・8・1945」。塔に取り付けられた、こうこうと輝く金のプレートが印象的だった。


日本人に好意的

 戦争の面影と日本の名残が複雑に混じり合うサハリン。旅の最後の夜、「ふる里」を訪ねた。宮西さんに「ロシア人と日本人の間に感情的なわだかまりはあるのか」と問うと、宮西さんはこう答えた。

 「今はもうほとんどありません。ユジノサハリンスクのロシア人はとても日本人に親切です。過去の出来事からの日本人への配慮とともに、日本人らしい『気遣い』の文化が受け継がれ、根付いているからです」

 実際、街では日本人と知ると好意的に接してくれるロシア人が少なくなかった。道に迷っていると声をかけてくれたり、ロシア語が分からない記者を親切にも空港の窓口まで案内してくれた路線バスの運転手もいた。

 そして、街の中には彼らの日常があった。市場で野菜や魚介の食材を選ぶ主婦、ロシア正教会の教会で結婚式を挙げる幸せそうな新郎新婦、熱心に祈りをささげる男性、駅前広場で友人や恋人たちと楽しそうに語らい合う若者たち…。

 同じような光景が72年前の樺太の日本人にもあったのだろう。そんな複雑な思いがこみ上げるとともに、こうした「日常」を奪うということこそが、戦争の一番の悲劇なのだと感じた。

 新千歳空港からわずか1時間半、稚内から船で4時間半で訪れることができるこの島には、多様な文化が内包されている。「サハリンに行っても何もないよ」。出発前には周囲からこう聞かされていたが、そこには、国家や領土問題を肌で感じることのできる風土があった。

 ぜひ、多くの日本人に、樺太の今を通じ、かつての日本や歴史に思いをめぐらせてほしい。そう強く感じた旅だった。








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