【歴史インサイド】「これが最期です、さようなら」旧ソ連軍侵攻と真岡乙女の悲劇も…「樺太」日本統治の痕跡は今【旧日本領南樺太=現サハリン・ロシア】

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 「樺太」日本統治の痕跡は今……。
 それでも南樺太(現サハリン)を訪れることは有意義なことではないだろうか?

 因みに、宮沢賢治は樺太栄浜への旅で銀河鉄道の話しを閃いたらしい。
 樺太の満点の星空と湖面ぎりぎりに走り抜けた樺太の鉄道路線こそが、地上を走っていた銀河鉄道の原型だったと思われる。 
 いつかは樺太の銀河鉄道を旅をしてみたいと思っている。
 
 南樺太(現サハリン)は現在日本が主張している北方四島には含まれないのだが、個人的には南樺太(現サハリン)もロシアから返却して欲しいと思っている。
 
 


【歴史インサイド】【旧日本領南樺太=現サハリン・ロシア】
「これが最期です、さようなら」旧ソ連軍侵攻と真岡乙女の悲劇も…「樺太」日本統治の痕跡は今
2017.9.11 05:30

第二次世界大戦の悲劇の舞台として知られる真岡郵便局跡。旧ソ連軍の侵攻が迫る中、当時の電話交換手の女性9人が死を覚悟で業務を継続し、青酸カリによる自決を遂げた。現在はアパートとなり、1階には銀行が入居する=サハリン州ホルムスク(有年由貴子撮影)


 北海道からわずか約40キロの真北に位置する島、サハリン。かつて樺太島と呼ばれ、明治38年から昭和20年までは南半分が日本の統治下にあった。昭和20年8月、第二次世界大戦末期の旧ソ連軍の侵攻で日ソ間で激しい戦闘が行われ、多くの民間人の血が流れた地でもある。現在はロシアに実効支配されており、日本時代の遺構はほとんど残っていない。「樺太の戦い」が幕を下ろしてから8月25日で72年。かつての日本領土はいま、どうなっているのか。この夏、日露両国の歴史と文化が複雑に絡み合うサハリン島を訪ねた。(有年由貴子)


波に揺られ3時間半

 8月5日、日本最北端の北海道稚内市からフェリー「ペンギン号」に乗った。こぢんまりとした船体に描かれたペンギンのイラストが愛らしい。目指すは、対岸のサハリン島にある港町、コルサコフ(旧・大泊)だ。

 ペンギン号は6~9月に週2~3回、稚内-コルサコフ間の国境を往復する。運航会社のホームページによると、今シーズンは国内外のバックパッカーや自転車の利用客が急増。パックツアーが多く「高額」のイメージだったサハリンの旅が、リーズナブルなものにも変わりつつあるという。

 この日の乗船者は、ほとんどが高齢者を中心とした団体のツアー客。個人旅行者は数人だった。北海道からツアーに参加した女性は「知り合いにサハリンからの引き揚げ者がいる。自分の身近なところにあるサハリンを一度見てみたかった」と話した。

 宗谷海峡の波に揺られ、フェリーは4時間半ほどでコルサコフの港に到着。日本との時差は2時間。日本人が島に上陸するためにはビザが必要だ。パスポートと事前入手したビザを入国審査官に示し、厳格な監視のもと、入念なチェックを経て無事イミグレーションを通過した。


日本国「豊原」のいま

 コルサコフからさらにバスで約1時間、シラカバの木に挟まれた舗装路を抜けると、次第にコンクリートの建物群が現れ、サハリンの州都・ユジノサハリンスクに到着した。

 人口約20万人。かつて、日本国の「豊原」と呼ばれた町だ。日本統治時代には、多くの日本人が入植し、林業や漁業、製紙業などで栄え、昭和16年12月の国勢調査では約40万6千人が暮らしていた。

 札幌のまちを模して作られた碁盤目状の街路が整然と並ぶ。右ハンドルの中古の日本車であふれているが、一見して日本らしきものは見当たらない。街全体はほこりっぽく、旧ソ連時代に建てられたとみられるカラフルな古いアパートや建物群が建ち並ぶ。どこか無機質な印象だ。

 現地の人たちには日本語はおろか英語もほとんど通じない。真夏というのに、日が暮れると長袖の厚い上着がいるほどの肌寒さだ。

 一方で、街ではロシア人に混じってしばしば日本人や朝鮮人のような容姿の人々とすれ違うことに気づいた。スーパーマーケットなどにも「キムチ」や「ナムル」によく似た総菜が並んでいる。戦前、朝鮮半島から労働者がサハリンへ渡っていったが、戦後、韓国への帰還の道が閉ざされ、現在も多くの朝鮮系住民がこの島で生活を営んでいるのだという。

 ユジノサハリンスク駅前にある日本料理店「ふる里」の店長、宮西豊さんは「昔はたくさんの日本人・韓国人が住んでいましたが、ロシア人の移住が進み、今ではロシア人たちの暮らしの中に日本人・韓国人がいるというイメージです」と話す。

 宮西さんは約30年前に店を構え、同市の名誉市民でもある。宮西さんによると、現在同市に住む日本人は150人ほど。このうち、ユジノサハリンスクで生まれた日本人は今では20人に満たない。


「陸の国境」

 日本統治時代の痕跡を求め、市中心部にあるサハリン州立郷土博物館を訪れた。えんじ色の瓦屋根に、菊の紋章の付いた入り口の扉。日本の城郭建築を模したそのたたずまいは、ヨーロッパ調の街中では違和感を覚えるほど荘厳な雰囲気をまとっていた。旧樺太庁博物館を受け継いだ建物で、昭和12年に樺太の多くの建造物を手掛けた故貝塚良雄氏の設計によって建てられた。

 館内で展示されているのは、主に、かつて流刑地だったサハリン島の歴史や自然、アイヌ民族などの先住民の生活の紹介などだ。日本統治時代の資料も公開されており、高等女学校や中学校、商店や野球場といった施設が細かく記された豊原時代の地図からは、かつての日本人の生活をうかがうことができた。

 その展示資料の中に、北緯50度線上の日露国境に置かれていた国境標石のレプリカを見つけた。将棋の駒のような形で、日本側の面には「大日本帝國」「境界」の文字と菊の紋章が、ロシア帝国側には双頭鷲の紋章が刻まれていた。

 かつて、日本にも陸の国境があった。改めてそのことを思い知らされた。


悲劇のまち「真岡」

 さらに、日本の名残を求め、サハリン第二の都市ホルムスクへ向かう。ユジノサハリンスクからバスで2時間弱。サハリン西海岸最大の貿易港だ。

 日本時代の町名は「真岡(まおか)」。その名前は第二次世界大戦の悲劇の舞台として知られる。

 昭和20年8月、国境線を越えて侵攻した旧ソ連軍によって樺太の多くの一般市民が殺害された。同月20日、旧ソ連軍の真岡町への上陸が始まるなか、真岡郵便局の電話交換手の女性9人が死を覚悟で業務を継続し、青酸カリによる自決を遂げた。

 「皆さん、これが最期です。さようなら、さようなら」。これが最後の通信だったと伝えられる。

 その真岡郵便局跡は、港からほど近くの大通り沿いにあった。建物は残っておらず、跡地には高層の古いアパートが建ち、一階には銀行が入居していた。

 慰霊碑などはない。跡地に向かって手を合わせていると、住民らから不思議そうな視線を向けられた。

 海沿いののどかな港町、ホルムスクは坂が多い。日本でいえば広島県の尾道市のようなイメージだ。しかし、この街にも、旧ソ連軍侵攻の際に街の大半が焼失したこともあり、日本統治時代の遺構はほとんど残っていないという。

 ガイドブックを頼りに数少ない遺構をたどる。かつて「真岡神社」の参道だった長い石段を上り切ると、船舶会社となった敷地に出た。脇の茂みの中に、日本語が刻まれた馬頭観世音の台座や手水鉢などがひっそりと残されていた。神社跡から街を見下ろすと、街並みの向こうに青々とした間宮海峡(タタール海峡)が広がっていた。

 石段を下りて、港へ向かう。その道すがら、高くそびえる戦勝記念塔が見えた。「23・8・1945」。塔に取り付けられた、こうこうと輝く金のプレートが印象的だった。


日本人に好意的

 戦争の面影と日本の名残が複雑に混じり合うサハリン。旅の最後の夜、「ふる里」を訪ねた。宮西さんに「ロシア人と日本人の間に感情的なわだかまりはあるのか」と問うと、宮西さんはこう答えた。

 「今はもうほとんどありません。ユジノサハリンスクのロシア人はとても日本人に親切です。過去の出来事からの日本人への配慮とともに、日本人らしい『気遣い』の文化が受け継がれ、根付いているからです」

 実際、街では日本人と知ると好意的に接してくれるロシア人が少なくなかった。道に迷っていると声をかけてくれたり、ロシア語が分からない記者を親切にも空港の窓口まで案内してくれた路線バスの運転手もいた。

 そして、街の中には彼らの日常があった。市場で野菜や魚介の食材を選ぶ主婦、ロシア正教会の教会で結婚式を挙げる幸せそうな新郎新婦、熱心に祈りをささげる男性、駅前広場で友人や恋人たちと楽しそうに語らい合う若者たち…。

 同じような光景が72年前の樺太の日本人にもあったのだろう。そんな複雑な思いがこみ上げるとともに、こうした「日常」を奪うということこそが、戦争の一番の悲劇なのだと感じた。

 新千歳空港からわずか1時間半、稚内から船で4時間半で訪れることができるこの島には、多様な文化が内包されている。「サハリンに行っても何もないよ」。出発前には周囲からこう聞かされていたが、そこには、国家や領土問題を肌で感じることのできる風土があった。

 ぜひ、多くの日本人に、樺太の今を通じ、かつての日本や歴史に思いをめぐらせてほしい。そう強く感じた旅だった。








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北方領土・色丹島、ビザなし交流で若者らが訪問 将来に伝えていきたいと意欲【日露交流】【北方領土】

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 北方領土・色丹島、ビザなし交流で若者らが訪問 将来に伝えていきたいと意欲。

 日露の交流を増やしつつ、何とかして北方領土が日本へ返還されることを期待する!
 
 北方領土問題を抜きにしてもロシアとの交流は増加させるべきである。
 ロシアの行動パターンを批判する評論家も多いが、「反日無罪」国家・韓国・「超独裁国家」北朝鮮・「ならず者国家」中国等の「特亜三国」に注ぐ労力を考えれば、ロシアとの交流を深める方が日本の国益になる筈である。
 



【日露交流】【北方領土】
北方領土・色丹島、ビザなし交流で若者らが訪問 将来に伝えていきたいと意欲
2017.9.12 17:23

ロシア人の学生たちとゲームで交流を深める日本人の高校生ら=色丹(同行記者団撮影)


 北方領土の元島民らが、旅券や査証(ビザ)なしで島を訪れる「ビザなし交流」で、日本側訪問団の本年度第8陣(蓑島崇団長)が11日、色丹島から北海道・根室港に戻った。教員や中高生を中心とした64人はロシアの若者らと音楽やスポーツで交流、共同経済活動のあり方についても議論した。

 一行は4日間の日程で8日に根室港を出発。上陸初日の9日は穴澗(あなま)村の文化会館で音楽を通じて交流。その後、斜古丹村に移動、今年3月にオープンしたばかりの体育館でドッジボールやゲームで汗を流した後、ロシア人宅を訪問するなどして友好を深めた。体育館での意見交流では、「もっと行き来して互いの文化を教えあうことができるようになってほしい」など日ロ双方の教員から意見が出された。

 10日は、港近くの水産加工場や消防署、日本の人道支援の際に使われたプレハブ小屋を再利用した図書館を見学。交流最後の夕食会では、鹿児島高校の福元俊一郎教諭が得意の書道で「日露友好」の文字を揮毫(きごう)した。

 参加した斜古丹村のセルゲイ・ウーソフ村長は、「共同経済活動には賛成だが、車をあげるから仲良くしようというのはロシア人の心情に合わない」という見解を示した。南クリル地区のアレクセイ・ザジラコ副行政長は日ロ両国が具体化を図る共同経済活動を巡り、2度目の調査団派遣に期待感を示した上で、領土問題については「政府の決定に従うだけ」と述べた。

 青森県三沢市の県立三沢高校2年、長瀬紗嬉さん(16)は「最初は日ロがけんかするくらいなら、島を渡してしまえばいいと思っていたが意識が変わった。将来は一緒に住む道を探れたらいい。見てきたものを学校で友人らに伝えていきたい」と語った。

 語り部として参加した元島民で札幌市の小田島梶子さん(85)は「色丹は13歳まで過ごしたふるさと。若者が中心となって譲り合いながら絆を深めていくことが大切」と話していた。(同行記者)








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【クレムリン経済学】露が強行する北方領土「特区」 日露共同経済活動早くも黄色信号【北方領土】

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 露が強行する北方領土「特区」 日露共同経済活動早くも黄色信号

何とかして北方領土を円満にロシアから取り返したいのだが……。
 




【クレムリン経済学】【北方領土】
露が強行する北方領土「特区」 日露共同経済活動早くも黄色信号
2017.9.4 17:00

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北方領土・色丹島斜古丹の街を歩くロシア人住民=2016年12月(共同)


 日本とロシアが協議を進める北方領土での共同経済活動の実現性に黄色信号が灯りつつある。ロシアのメドベージェフ首相は8月23日、露極東ユジノサハリンスクで、北方領土に経済特区を設置する文書への署名を強行した。特区は色丹島の斜古丹(ロシア名・マロクリリスコエ)に設置されるというが、今後さらに他地域に拡大する可能性も指摘される。両国の法的立場を尊重することを前提とする共同経済活動は、ロシア法に則った特区の設置と相容れず、色丹島では共同経済活動の実施が困難になるのは確実だ。(モスクワ 黒川信雄)


 繰り返し揺さぶり

 経済特区はロシアが極東などで進める経済振興策で、税制優遇や行政手続きの簡素化などを通じ、企業進出を促進する制度。露政府高官は7月、ドイツでの日露首脳会談の直前に特区を設置する方針を表明しており、日本を揺さぶる狙いがあったとみられていた。今回のメドベージェフ氏の署名も、9月上旬に露極東で予定される日露首脳会談のわずか2週間前というタイミングの発表だった。


 共同経済活動と矛盾

 昨年12月に日本で行われた日露首脳会談での合意を受け、両国は現在、双方の法的立場を害さない「特別な制度」の下での北方領土での共同経済活動の実現に向け交渉を進めている。しかしロシアの法律に基づく経済特区は、共同経済活動の枠組みと矛盾しかねず、ロシアによる北方領土への管轄権を認めることにもつながりかねない。

 さらに極東の経済情勢に詳しい日本の関係筋は、「ロシアは日本側の対応を見定めつつ、北方領土の他の地域にも設置する可能性がある」と指摘する。ロシア政府高官らは共同経済活動をめぐり、昨年の交渉開始の合意直後から一貫して「ロシア法に沿って行われる」と主張してきた。主権問題をめぐり、ロシア側に優位な状況を引き出せなければ、他地域も特区に指定して日本側をさらに揺さぶる可能性は否めない。


 地元政府は歓迎

 今回の発表を受け、北方領土を事実上管轄するサハリン州のコジェミャコ知事は「島の経済を新たな水準に引き上げる」と述べ、強い歓迎を表明した。ガルシカ極東発展相は「日本との共同経済活動をめぐる協議の結果が出るまで(四島の)住民生活が変化しなくてよいという意味ではない」と述べ、特区設置を正当化した。露当局は今回の措置をめぐり、新たに700人の雇用が生まれるなどと表明し、地元経済への効果を強調する。


 共同経済活動への反発も

 そもそも、北方領土を対象にした共同経済活動は、「極東全体の経済と比べ非常に限られた規模」(ロシアの専門家)で、実際に計画に関与する個人や企業以外にはロシア側のメリットはほとんどないとみられていた。一方でロシアの軍や治安当局関係者は、共同経済活動を通じ北方領土で日本のプレゼンスが拡大することを懸念しており、それでもロシアが協議に応じた背景には、「日本を政治的な交渉に引き出す意図」(同)があったためと指摘されている。

 ロシアの経済特区はこれまでも多数設置されているが、一方で計画性の乏しさから、目立った成果を出せず閉鎖されるケースも少なくなかった。色丹島のようにインフラが未整備で、その改善だけで多額の予算が必要な地域での特区は、経済的に成功しない可能性もある。

 ただ、9月上旬の首脳会談では共同経済活動が主要議題となる見込みで、日本は今回のロシアの動きへの対応に苦慮するのは確実だ。領土交渉という側面からみても、色丹島は1956年の日ソ共同宣言で平和条約締結後に日本側に引き渡すとされた島で、露側の措置は日本の領土返還交渉をさらに困難にさせる可能性が否めない。

 共同経済活動をテコに、ロシアとの本格的な交渉に乗り出した日本政府だが、先行きは極めて不透明になりつつある。



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北方領土・色丹島の斜古丹=2016年12月(共同)


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北方領土。色丹島







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【佐藤優のラジオ】外務省でラスプーチンと呼ばれた男 2017年7月20・21日

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 佐藤優がニュースを斬る!

 外務省でラスプーチンと呼ばれた佐藤優のラジオ

 佐藤優によれば森喜朗元首相とプーチンロシア皇帝との友情関係は本物だという。うーん、森元首相とプーチン皇帝との関係がそこまで本物だったとは……。
 森喜朗元首相には長生きして貰って北方領土返還に力を注いで貰いたい。
 
 


【外務省でラスプーチンと呼ばれた
佐藤優のラジオ】


●【佐藤優】 くにまるジャパン 極 加計学園問題・PKO日報問題 2017年7月21日
22:41 保守ラジオ

Streamed live on Jul 21, 2017


●【佐藤優】 あさラジ!2017年7月20日
21:34 保守ラジオ

Streamed live on Jul 19, 2017
0:09 ロシアの闇
https://youtu.be/_gp6M4I4pnY?t=9s

6:13 トランプ大統領 戦後最低支持率も岩盤支持者は健在
https://youtu.be/_gp6M4I4pnY?t=6m13s

11:02 PKO日報隠蔽問題 稲田朋美は嘘をついているのか?
https://youtu.be/_gp6M4I4pnY?t=11m2s

19:14 加計学園問題に新たな疑惑
https://youtu.be/_gp6M4I4pnY?t=19m14s








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千島列島でロシアが関心寄せる「マトゥア島」 旧日本軍が拠点、露国防省などが再び調査団 領土交渉へ影響か【北方領土】【日露交渉】

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 ロシアが関心寄せる「マトゥア島」(千島列島) 旧日本軍が拠点、露国防省などが再び調査団 領土交渉へ影響か?
 
 日露北方領土交渉で、簡単に領土が返還されると考えるのは、矢張り甘い考えだろう。
 ロシアは当然のことながら日本からの譲歩を要求して来る。日本は、ロシアが欲しがる譲歩の中で何をできるかを考え出すべきだ。

 しかしながら、ロシアは「反日無罪」国家・韓国とはことなるので、交渉できる相手ではあると思うのである。
 
 


【北方領土】【日露交渉】
千島列島でロシアが関心寄せる「マトゥア島」 旧日本軍が拠点、露国防省などが再び調査団 領土交渉へ影響か
2017.7.19 19:21

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北方領土のマトゥワ島


 【モスクワ=黒川信雄】第二次大戦まで旧日本軍の輸送拠点が置かれていた千島列島中部のマトゥア島(松輪島)に、ロシアが強い関心を寄せている。露国防省は昨年に続き、今夏も調査団を派遣。太平洋艦隊の基地設置の可能性を探っているという。同島の開発は北方領土を含む周辺地域の軍事的価値を高めるとみられ、日露の領土交渉に影響を与える可能性もある。

 露国防省とロシア地理学協会は6月、昨年に次ぐ島の調査を開始。約150人の軍人や専門家らが島を訪れ、島周辺の海底の地形や島の火山活動などを調べるという。調査は9月まで実施される予定だ。

 マトゥア島は面積が52平方キロメートルと小規模だが、旧日本海軍は輸送拠点として重視し、飛行場や港湾を設置していた。しかし1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾した後にソ連軍が千島列島への侵攻を開始。マトゥア島の守備隊も引き揚げを余儀なくされた。

 その後、ソ連は島に対空兵器や国境警備隊を配備するなどしたが、報道によるとソ連崩壊後の2001年には撤退し、無人となった。そのため昨年の調査に同行した露メディアはマトゥア島を「旧日本軍の謎多き島」などと評し、残存する軍事施設の現状などを詳しく報じていた。

 ロシアの専門家らは、国防省が新たな基地建設に乗り出した背景には、アジア・太平洋地域での米軍艦隊の活動が活発化していることのほか、オホーツク海やロシアが開発を進める北極海航路の防衛を強化する必要に迫られているためだと指摘する。国防省は15年、極東から北極圏をつなぐ沿岸防衛システムの構築を打ち出しており、露側の動きはその一環とみられる。

 ただ日本の軍事専門家らは、小さなマトゥア島では「規模の大きな兵力配備は不可能。補給拠点にする程度では」と指摘する。基地候補地を大々的にメディアが取り上げるのも不自然で、「同地域をロシアが重視しているとアピールし、他国を牽制(けんせい)することが主な狙いでは」とも述べる。

 ただ島が拠点として整備されれば、約500キロの距離にある北方領土の基地とも連携し、ロシア軍は機動的な兵力展開が可能になる。プーチン大統領は米軍のミサイル防衛システムに対抗するために北方領土が重要との認識を示しており、マトゥア島の開発は日本の領土返還要求の新たな障害になりかねない。








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